エピソード
アイヌ学を志したきっかけ
金田一が東大にいたころ、言語学科には”英雄たち”がいた。金田一の一年先輩に、日本の国語学を躍進させた橋本進吉がいたし、また琉球語を主題にし、のちに“沖縄学の父”といわれるようになった沖縄出身の伊波普猷もいた。さらには、朝鮮語の最初の科学的研究者になる小倉進平もいた。
助教授の藤岡勝二が蒙古語・満洲語の専門家で、また一年あとで入ってくる後藤朝太郎が、中国語学をやることになる。
しかし、アイヌ語研究をやる者だけがいなかった。言語学科の主任教授の上田万年(かずとし)博士は腹をすえかねたのか、講義のとき、
−アイヌは日本にしか住んでいない。アイヌ語研究は、世界に対する、日本の学者の責任ではないか。
という旨のこといった。金田一はこのとき自分の生涯の道を決めた。
当時のアイヌ学
息子・春彦が東大に通っていた頃、父が教鞭をふるうアイヌ学の講義を受講したことがあった。
春彦は父と同居していた(一緒に家を出ることもあった)し、ひとつ屋根の下には父の教え子で後にアイヌ語の研究でアイヌ民族初の国立大学教授になる知里真志保がいたのでわざわざ習うまでもない。
なぜわざわざ大学で父の講義を受講したのか。
なぜかといえば、当時アイヌ語を勉強しようという学生がおらず、父がかわいそうになったからだ。
当時は同化政策が盛んで、アイヌ語やアイヌ文化も禁止される方向で時代が進もうとしていた。失われそうな文化を研究し遺そうと尽力した金田一の思いは、当時の学生には届かなかった。
