金田一京助と石川啄木
啄木の作家活動と生活
生計のため小説を売り込むが成功せず。逼迫した生活の中、6月23日から25日にかけ「東海の小島…」「たはむれに母を背負ひて…」など、後に広く知れ渡る歌を作り、続いて作った246首とともに翌月の『明星』に発表する。金田一は、友人として啄木に金銭を含むさまざまな支援をしている。
二人は10代のとき同じ文学の道を志したが、京助は中途で断念することになった。それは言語学という新たな道が開けたためでもあったが、啄木の天賦の才を目の当たりにし、自分の才能に見切りをつけた面も大きかったようだ。だからこそ啄木の生活を支え、その大成を支援することを自らの使命としたのである。家財を売り払ってまで啄木に金を貸した(そして返ってこなかった)ことは有名。
だが、啄木の遺したローマ字日記を鑑みるに浅草の娼妓に費やしたと思われる。そのため、京助の息子と妻にはよく思われなかった。
