金田一京助と石川啄木
石川啄木の夭逝
京助『想い出の記』には、
いろいろの事はありしも死ぬ時はやっぱりわたしを呼びし啄木
死ぬ数日前、啄木晩年の親友土岐善麿の尽力で出版の契約をし20円の稿料を受け取り、没後同年6月歌集『悲しき玩具』が発行される。
その後京助は、啄木の顕彰のため力を尽くした。
啄木の作品は、時代の先駆性を感じさせるものが多く、それでいて日本人の心の奥にあるのノスタルジアを呼び起こしてくれる。
アイヌ語ユーカリという前人未踏の学問を切り開くという愛情と根気と努力の金田一京助なくして石川啄木なしともいえる。 京助にとって啄木は夢の代行者でもあったのだろう。
死してなお変わらぬ友情
トップページの物と同じ、昭和二十九年三月に金田一の書斎で撮影された写真。左上に掛っているのが石川啄木の写真だ(白黒では分かりにくいので写真部分を赤丸で囲っている)。
志半ばで倒れた友を忘れぬよう、死後四十二年が過ぎても書斎の最も目立つ場所に掲げられている。
