金田一京助と石川啄木
金田一京助の献身
1908(明治41)年、京助26歳、啄木22歳の夏。中学校の講師に就きながら言語学者を目指すべく日々勉学に励んでいた京助と、文学の道を志してこの年上京したばかりの啄木は、同じ赤心館という下宿先に部屋を借りていた。しかし、安定収入のない啄木には下宿代が払えない。見るにみかねた京助は、自分の服などを質屋に入れて、啄木に金を貸す。それでも下宿先への啄木の“ツケ”はかさんだ。
下宿のおかみさんの我慢も限界となり、いよいよ啄木が追い出されるその直前、京助は一大決心をする。自らの蔵書をほとんど売り払おうというのだ。しかも一切啄木に相談せず、荷車2台分の蔵書を古書店に売った金でひそかに次の下宿先を確保し、子細整えてから「石川さん、さあ引っ越しだ」と告げた。がらんとした京助の本棚を見てすべてを察した啄木は、この朋友に向かって手を揉んで拝み、「わたしのために」と深謝したという。
この後、昼過ぎに二人は小料理屋に入り、ビールで乾杯した。京助の自伝には次のようにある。
新しい第一歩のかどでだ。お互いのために祝杯をあげようと、あの辺の、確か台町であったか、とある一品料理―その頃は、ミルクホールが、ぼつぼつそうなって、これがまた今のカフェーなどいうものへ移る一つ前の時代だ―へ入って二人で、トンカツ・ビフテキというところで、ビールを傾けて大いに気勢をあげた。
(金田一京助著「啄木の人と生涯を語る」より、『近代作家研究叢書 石川啄木』収録/旧仮名遣いは適宜新仮名遣いに直した)
啄木に対し男気をみせた京助。ビールを片手に、この引っ越しを二人にとってどれだけ有益なものにすべきか語り合ったことだろう。しかし内心、蔵書を売り払ったことに対する後悔の念もあった。京助の自伝は次のように続く。「実をいえば、本の愛着とでもいうものがあって、このときのビールほど様々な味をもったビールを飲んだことがない」。
言語学という言葉の世界で生きる京助にとって、読み親しんだ蔵書を手放すにあたっては、我が子を手放すのにも似た苦悩があった。しかし、目の前の親友のためにはそうせざるを得ず、それによって確かに啄木は救われたのだ。ビールのほろ苦い味とともに記憶された、青春の一幕であった。
