金田一京助と石川啄木
上京
同じ学校で出会った二人だが、啄木は2度のカンニング発覚・欠席の多さ・成績の悪さが原因で退学、金田一は盛岡第二高等学校から東京帝国大学文化大学と対照的な道を歩む。
そして金田一は学者の道を選び、啄木は函館、札幌、小樽、釧路と流れたのちに、最果ての国の生活に耐え切れず、上京しての創作生活を決意、明治41年5月に金田一を頼って上京する。
唯一無二の同志
二人は東京における唯一無二の同志だった。京助の方が先に上京していながら、彼に東京での遊びを教えたのは啄木であった。二人はしばしば浅草などの盛り場に繰り出しては、映画館や見世物小屋をまわり、繁華街でビールなどのアルコールを嗜んだ。その様子は、啄木が友である京助を詠った歌にうかがえる。
興来れば
友なみだ垂れ 手をふりて
酔漢のごとくなりて語りき
京助がほろ酔い気分で、啄木に自らの夢や政治への憤りを語っている姿が彷彿とする。もちろん飲食代もたいていは京助が支払うのだが、それはたいした問題ではなかった。
京助にとって啄木は、竹馬の友であるとともに、東京で共に立身を目指す同志であったのだ。それは決して金銭には換算することはできない関係だったのだろう。
